2010年05月15日
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軍事ラインとしての玉電

Written By: 川俣 晶連絡先

 玉電天現寺線とは、解釈に非常に苦しむ存在でした。下高井戸線の存在意義はおおむね分かってきましが、天現寺線は分かりませんでした。

  • なぜ終点が天現寺橋なのか?
  • なぜすぐ分断されてしまったのか?
  • なぜすぐ手放して都電になってしまったのか?

 しかし、最近になってやっと分かってきました。

 かつて、目黒の国立科学博物館付属自然教育園は火薬庫だったそうです。そして、天現寺橋とはこれに対するアクセスができる位置にあります。

 一方で、下高井戸は和泉焔硝蔵つまり火薬庫へのアクセスができる位置です。

 つまり、下高井戸から天現寺橋までのラインを想定したとき、そこに「陸軍の火薬庫」という共通項が浮上し、交通アクセスの利便性を提供するメリットが見えてきます。

 しかも、この間は軍事関係の話題が豊富です。世田谷城址もあれば、駒場の陸軍もあります。松原も軍事的な成立の経緯が可能性として討論されています。つまり、下高井戸から天現寺橋まで、軍事ラインとして想定可能です。

 なぜ想定できるかは、このラインがおおむね北沢川、途中で名前が変わって目黒川、その支流の存在で容易に想像できます。おおむね西に向かって川を盾にできる丘という立地です。従って、これは以下のように想定できます。

  • 内陸の反乱から首都を防衛する防衛網の一貫である
  • 江戸時代あるいはそれ以前から存在するシステムを明治新政府も踏襲したものである

 しかし、このシステムは大正時代以降、解体されていきます。おそらく、内政が安定して、内乱を想定する必要が無くなったのでしょう。

 従って、すぐに「下高井戸から天現寺橋までの連続運転」を行う必然性が消滅してしまいます。目黒の火薬庫が廃止されてしまうと、火薬庫へのアクセスは容易だが目黒駅へのアクセスは容易ではない天現寺橋の存在意義は低くなったのだろうと思います。火薬庫から火薬製造施設への専用線も廃止されているようですから、ますます天現寺橋は孤立してしまいます。

 従って、これ以後天現寺線は玉電本線とは切り離されて、最終的に都電網の一部に吸収されていくわけです。

余談 §

 内乱の想定という話は、統帥権の話と絡めると十分に考えられます。戦前の天皇に軍の統帥権があるという規定は、具体的に内乱が想定されていたからだとどこかで読みました。つまり、各地の軍が各地の政治家に統率されて新政府に反乱するような事態があってはならないので、軍に命令する権限を政治家ではなく天皇に置かねばならなかったわけです。しかし、結果として軍の独走を許してしまい、それが成功であったのかは分かりません。まあ、西南戦争のような戦争が実際に起きていて、同じような事件が起きる恐怖があれば、そのような方向性に走ることも分からなくもありませんが。

更に余談 §

 ということを考えていたら桜上水Confidentalさんも同じようなことを考えていました。

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